5月12日、蜷川幸雄さんが亡くなった。
16日の告別式、TVで放送されていた様子を観て、涙がボロボロ溢れた。
たくさんの蜷川作品のほんの一部しか拝見したことがないが、その独特な世界観に
感動し魅了された。
蜷川氏に見出された数々の名優や仕事を共にされた方々のお話から、氏がどれほど厳しかったか、愛情あふれる方だったか、舞台への情熱が強かったか、命をかけられていたか…などなど、本当に本当に素晴らしい才能の持ち主であり、心の豊かな方だったかが、素人の私にも伝わってくる。
なかでも一番泣いてしまったのは、1997年「 身毒丸」に大抜擢された藤原竜也さんの弔辞だった。
それまでアングラな小さな芝居小屋で観ていた寺山修司氏の作品。
それが「世界の蜷川 」氏の演出と豪華なキャスティングでどんな風になるのだろう?
子どものようにワクワクドキドキして観に行ったことを憶えている。
色彩、陰影、役者の表情、声、しぐさ…
寺山氏の生きていた時代に観ることが出来ずにもうそれは決して叶うことが出来ないけれど、観てもないのに、寺山修司氏の作品世界を再現してくれたのだと思った。
まだ14、5歳の舞台経験皆無の新人だった藤原竜也さんは、人格否定されるほどの厳しい稽古を経験したと聞いた。
それが「憎しみしかない 」という言葉につながったのか…
「 泥水に顔をツッコんでもがいて、苦しんで、本当にどうしようもなくなったときに手を挙げろ。その手を俺が必ず引っ張ってやるから」
この言葉に、本当に蜷川氏の愛を感じた。今文章を読んでも泣けてくる。
さらに、
「 1997年、蜷川さん、あなたが僕を産みました」
と言っている。
「 身毒丸」のキャッチコピーを思い出した。「おかあさん、もう一度僕を妊娠してください 」
蜷川さんと二度と仕事は出来ない哀しみや辛さが本当に伝わった。
私達はまた一つ、素晴らしい宝を失ってしまった。
(藤原竜也さん弔辞全文)
「その涙は嘘っぱちだろ?」と怒られそうですけど、短く言ったら長く言え。長くしゃべろうとすれば、つまらないから短くしろと怒られそうですけど。まさか僕がきょうここに立つことになろうとは、自分は想像すらしてませんでしたよ。最期のけいこというか、言葉で弔辞。5月11日、病室でお会いした時間が最期になってしまうとは…。
先日、公園で一人『ハムレット』のけいこの録音テープを聞き返していましたよ。恐ろしいほどのダメ出しの数でした。瞬間にして心が折れました。「俺のダメ出しでお前に伝えたことは全て言った。今は全て分かろうとしなくていもいい。いずれ理解できる時がくるから、そうしたら少しは楽になるから。アジアの小さな島国の小さい俳優になるなと。もっと苦しめ、泥水に顔をツッコんで、もがいて、苦しんで、本当にどうしようもなくなったときに手を挙げろ。その手を俺が必ず引っ張ってやるから」と蜷川さんそう言ってましたよ。
蜷川さん、悔しいでしょう、悔しくて泣けてくるでしょう。僕らも同じですよ。もっと一緒に居たかったし、仕事もしたかった。たくさんの先輩方、同志の方々がたくさんきてますね。蜷川さんの直接の声は、もう心の中でしか聞けませんけれども、蜷川さんの思いをここにいる皆でしっかりと受け継いで頑張っていきたいと思います。
気を抜いたら、バカな仕事をしてたら、怒ってください。1997年、蜷川さん、あなたが僕を産みました。奇しくもきのうは僕の誕生日でした。19年間、苦しくも…、まぁほぼ憎しみしかないですけど、最高の演劇人生をありがとうございました。蜷川さん、それじゃあまた。
出典元:
http://laughy.jp/1398247658187103738