卒業しても、長の別れとも思わず、親しい友人とはまた会えると思っていたから
悲しいとは思わなかった。
ええーっ
なんでー?!
だって、もうこのクラスで何かするとかは二度とないんだよー?!
と言われ、まぁそれはそうなんだけど・・・・
でも、泣かなかった。
しかし、そんな私でしたが
昨日は、涙が出た。
悲しい ではなく感動の涙でした。
しかし、そのあと、空虚感、脱力感、寂寥感、焦燥感などに襲われました。
そこへ通った日々が、ベタな表現ですが、走馬灯のように巡り
思いが交錯しました。
とある場所。
毎年、体育祭とか文化祭ごとに、感動し、ああ、これでまた一つ終わった・・・
と終焉に向かっていることを寂しく思った。
祭りの後の寂しさ的な・・・
あっというまに月日は過ぎた。
もう二度とあうことのない子達・・・。
私があと○才若かったら・・・と密かに恋していた(?)イケメンが二名いました(笑)
そして、TVに出ているアイドルグループよりも全然可愛いんじゃないかと思っていた
美少女たちが何人もいました。
(同性愛のケがなくとも、可愛い、綺麗な女の子をみるのって幸せな気分になれます)
もうその子達に会えないのかと思うと、寂しくなりました。
春は別れの季節
そして出会いの季節・・・
といいますが、出会いはあるのか?!
脳裏にやきつけたはずの記憶はやがてはうすれ
色あせ、曖昧な記憶になってしまう・・・
私は、今このときを切り取って残しておきたい
出来るなら、全てビデオにおさめてとっておきたい・・・・
そんな思いを抱くことが多々あります。
特に写真を撮るのはそういう気持ちがものすごく強く、焦りみたいなものとあいなる。
いつも焦って写真を撮っているわけではないけれど、
写真を撮っておかなくちゃみたいな気持ちにならない人がうらやましい。
大好きな映画「ブレードランナー」の中に
ハリソン・フォードが
人間とレプリカントを見分ける方法を説明、証明するシーンがありました。
少し前に造られたレプリカントは瞳の光彩だけでわかります。
その後に作られたレプリカントも、いくつかの質問をするだけでわかるという・・・。
彼らは、写真をものすごく大事にしている。
赤ちゃんの頃、子ども時代、青春時代・・・そこに写った人物や背景をも
全て造られた記憶であり、それらが彼らの脳裏に組み込まれているのですが、
その写真ひとつひとつに関連づけされてはいるものの、
質問攻めにあうと、やがては矛盾が生じ
答えにつまってしまう、
それで、レプリカントであると判るのです。
が、精巧に造られたレプリカント、レイチェルは、いくつ質問されても、
完璧に答えることができ、矛盾が生じない。
(本当は、ハリソン・フォードは気づいたみたいなのですが、そこらへんは
曖昧になっています)
自分の記憶ではなく、写真に写されたものに頼らなくてはいけない、みたいな私は、
実は人間ではなく、よく出来たレプリカントなの・・・だとは思いませんが、
ちょっと、レイチェルの気持ちがわかるような感じがしてしまうのです。
2013年 3月 8日
昨日は、そんなことも考えてしまった日でした。